今日は朝から『硫黄島からの手紙』を見ていました。色々と示唆に富んでいたのでメモ。
栗林中将は稀にみる有能な司令官だった
「日本人は現場が優秀で指揮官が無能である」とよく言われます。
しかし硫黄島防衛の任に当たった栗林中将は、柔軟性に富んだきわめて有能な指揮官でした。
彼は海岸に塹壕を掘って上陸してくる米軍を水際で阻止するという従来の戦略を捨て、
洞窟を掘って立てこもる戦略をとります。
この戦略は功を奏し、物量で圧倒的に優っていた米軍は日本軍より多くの人的損害を被りました。
栗林中将のとった戦略は洞窟に立てこもって「日本兵1人につき10人の米兵を戦闘不能にする」というもので、
これは自分の損害より相手の損害を大きくする非対称戦略と呼ばれる考え方です。
例えば「イスラム国」は爆弾付きのドローン(コストは高くて数千ドル)を飛ばして、
西側諸国の地対空ミサイル(コストは1発数百万ドル)を浪費させる戦略をとっています。
このように、非対称戦略は物量で劣る側がとるきわめて有効な戦略です。
でも現場では無能な突撃が随所で見られた
栗林中将の戦略の核は、「日本側が1の損害を受ける時にアメリカが10の損害を受けるようにする」というものなので
いわゆる「バンザイ突撃」のような破れかぶれの戦術とは真っ向から対立するものでした。
しかし現場では、
- そもそも存在した栗林中将の新しい戦略への反発
- ずっと洞窟にこもるストレス
- 一部の上官による無謀な擂鉢山(硫黄島の激戦地)の奪還作戦
などにより、残念ながら「バンザイ突撃」のような戦術が採用されてしまいました。
米軍の機銃掃射の前に突撃はほとんど意味がなかったので、
戦果という点で言えば、このような「作戦」はほとんど無駄でした。
愚かにもバンザイ突撃を繰り返してしまった私
さて、場面は変わって現代です。
現代では70年前のように殺すか、殺されるかという選択を、一個人が迫られる場面は非常に少なくなりました。
ありがたいことですね。
私は6月にスクールに通って中国語を勉強し始めました。
単語量を増やそうと思った私は、初週にひたすら中国語を書きまくるという勉強法を採用しました。
毎日10回、20回と単語を書きまくり、努力した気になっていました。
しかし、いざ日本語を中国語に翻訳しようとしたとき、私は愕然としました。
100回くらい書いたはずの中国語が出てこない
よく考えてみると、私は中国語を100回写経しただけで、
「日本語を中国語にする訓練」「中国語を耳で聴いて簡体字に直す訓練」をしたのは
0回だったのです。
翌週から私は写経に代わって
「CDで聴いた中国語を速やかに簡体字に直す」
という訓練を繰り返しました。
結果、初週に比べて中国語にかける時間は50%減り、
単語テストの結果が80%を切ることはなくなりました。
そう考えると、初期の写経がいかに非効率だったかと思います。
はっきり言って、写経にかけた私の時間は完全な無駄です。
(むろん、書きまくることで覚えられる人がいることを承知していますし、人それぞれ合う勉強法はありますので否定する意図は全くありません。)
努力=方向性×量
さて、私がつくづく思ったのは、
努力とは、方向性と量のかけ算である
ということです。
要は数学でいうベクトル量なんですね。
(ベクトル量とは要は矢印で、向きと長さの2つをもつ量です)
単語を書きまくるという勉強法は、勉強量は膨大でしたが私にとって方向性は全く間違っていました。
もちろん、「方向性は正しいけどかける時間が少なすぎて成果が出ない」ということもあるでしょう。
でも「量はかけているけど成果が出ない」方がありがちですし、
何よりとても苦しいものです。
これまでの自分の努力を否定して方向性を変えるのは苦しいですが、
間違った方法で進み続ける永遠の苦しみよりはマシです。
「裸足で富士山を登ったら傷だらけになったけど、これまでの自分を否定するのは嫌だから頂上まで裸足で頑張ります!」
という人はいませんよね。
凍傷になるのがオチです。
心にかかるストレスは身体より気づきにくいですが、
心が凍傷になる前に靴を買いにいったん下山する勇気を持ちたいものですね。
参考にした媒体
【慶應通信】正しい努力とは何か - 慶應義塾大学通信教育過程の記録
ISIS(イスラム国)が爆弾を投下するドローンを実戦投入 - GIGAZINE